執着は良くないという。ところが、それが自分の命だったり、大切な人の命だったらどうだろう。執着するのが普通だと思う。それにも執着しないでいられる人がこの世の中にどれくらいいるだろう。命まで行かなくとも、執着しないで済むレベルになるまでには、それなりの過程や時間がいるのだと思う。たしかに、人生訓と呼ばれるものは本質を突いている。すでにそこに近づいている人はその人生訓を聞いたとき、すっと腹に落ちる。しかし、そこに近づいていない人には理解できなくて当然である。本質を理解するには、どうしても過程や時間が必要なのだ。でも、本質というものはいったん身につくと、それが当たり前になる。もはや意識することもなければ、そこには何の無理もない。ただ、自然にそうなっているのである。